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 1 発足までの経過
 2 その後の歩み
 3 大会行事
 4 今後の課題と展望
 5 組織と歴代役員
 
 
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   発足のいわれ

発足のいわれ
1 発足までの経過

(1)大町市少年剣道クラブの発足

 昭和52(1977)年の夏、月と木曜日の午後7時から、大町西公園体育館において、大町剣道愛好会の稽古会が開かれていました。その中に、1人の剣道愛好者と2人の子供の稽古する姿がありました。
 初めは、3人で集まり遊んでいたのですが、秋には10人に、冬には12人に増えました。これが、わたしたちの団のはじまりです。

クラブイメージキャラクターの原画
橋本聖子(現姓:宮本)リーダー描く

(2)スポーツ少年団登録

 昭和53(1978)年の4月、市教育委員会にスポーツ施設開放登録団体の申請をしました。申請書には、大町市少年剣道クラブの団体名と、指導者1名(木村隆一・神栄町)と、団員12名の氏名が記載されました。同日のうちに、大町市スポーツ少年団にも登録の申請手続きを済ませました。これが、記録上の団の発足です。
 はじめは、何とか剣道の有名選手を育てようと、週1回の定例稽古の他に、団員自ら体育館の使用許可を受け、週2回から3回の稽古をしていました。稽古の内容は、大人と同様で、肉体的にも精神的にも、かなりの負荷がかけられました。
 昭和54(1979)年4月に、曽根原久雄(日向山)を新に指導者に加え、指導者2名、団員17名(中学生男子6名、小学生男子7名、小学生女子2名)で日本スポーツ少年団に登録しました。しかし、定例の活動内容は、スポーツ少年団の理念とはかけ離れた、競技志向の強い内容でした。

大町市少年剣道クラブ旗
榑沼武男範士の書
「勝争不」


 その後の歩み

(1)はじめの改革

 昭和55(1980)年3月、稽古内容が充実すると、団員がますます増えました。男子21名、女子3名になりました。市スポーツ少年団からは、活動の実績が認められ、補助金として10,000円が交付されるようになりました。しかし、指導面や経済的な面において、組織的な見直しをしなければならない時期となりました。
 同年4月30日、団員と保護者が全員出席して「大町市少年剣道クラブを発展的に解散する」そして「新しい組織を結成するための準備委員会を作る」ことについて話し合いをしました。
 準備委員会では、日本スポーツ少年団の組織や活動についての学習会を開催し、競技志向中心の団体から「親が、自分の子供を育てるのはあたりまえ」という考え方に立って話し合いがされました。
 この考えが、現在の団活動の基礎となっています。
 同年5月26日、スポーツ少年団結成のため活動方針や団規約・指導体制案を提示し、協議検討するとともに団員名簿等の作成に入り、保護者によって組織された新しい団として発足しました。団の名称は従来通り「大町市少年剣道クラブ」とすることになりました。
 昭和59(1984)年には、「自分の子供は、自分の手で育てる」を基本的な考えとして、団育成母集団が結成され、保護者自らも「地域に根ざしたスポーツ活動への参加」を実践することにしました。
 スポーツ活動への参加にあたっては、当時リーダー会が発刊していたクラブ紙「守破離(しゅはり)」の名称を用いる事になりました。
 B&G杯争奪ママさんバレーボール大会、大町市綱引きトーナメント、大北ドッヂボール大会、市民スポーツ祭のサッカー競技などに参加した「守破離」の団体名は、瞬く間に市民に広がりました。
 また、日本スポーツ少年団では、平成7(1995)年発刊の「スポーツ少年」2月号に「育成母集団活動のあり方を求めて」と題して、大町少年剣道クラブの育成母集団をモデルとした特集記事が、7頁にわたって掲載されました。
 この他にも、地域に根ざした活動として、昭和60(1985)年から「やまびこ祭」の踊り連に加わっています。剣道着と袴姿で、男子は白、女子は赤の鉢巻をして、腰に真白な晒し、幟旗を背負おった少年剣士の姿は、今でも地域の人々の目にとまっています。
 同年11月には、団指導者協議会の発足準備が進められ、翌年4月に発足し、初代会長は、野口一男(九日町)が就任しました。
 団員、指導者、保護者、そしてパイプ役としてのリーダーとか一体となり、標準的な少年団活動が展開されるようになりました。
 昭和63(1988)年、設立10周年となり、記念誌「守破離」を発刊、記念行事として、近隣市町村の少年剣士を集め、大町東小学校体育館において「ちびっこ剣士優勝大会」を開催しました。

設立10周年記念誌
「守破離」


団育成母集団会員のスポーツ活動
平成15年度スポーツ天国へ参加


恒例となっている大町やまひこ祭
踊り連へ参加


(2)再度の改革

 平成7(1995)年4月に、団員登録から指導者登録に移行した、西澤剛(大黒町)、松本淳(幸町)の2名が、認定員の資格を取得したので、指導者としての経験を踏ませる事と、団員が多くなると、各種行事や大会に参加できる団員が限られてくる事ことなどの理由から、2つ以上の団体に発展的に解散することが提案されました。
 しかし、解散はせずに、大町市少年剣道クラブは、剣道を普及発展させる団体として存続させ、その中に20歳未満の青少年により構成する支部道場を開設し、それぞれの支部道場が、独自のスポーツ少年団として団活動を展開する事になりました。
 そして、大町北と大町西小学校通学区の団員で構成する「大町市おおまち剣道スポーツ少年団(大町支部道場 代表指導者 西澤剛)」と、大町東と大町南小学校通学区の団員で構成する「大町市ときわ剣道スポーツ少年団(常盤支部道場 代表指導者 松本淳)」の団体名で、日本スポーツ少年団に登録する事となり、生まれ変わった組織体制で活動が展開されるようになりました。
 平成10(1998)年には、設立20周年となり、記念行事として、同年8月9日に「第2回ちびっこ剣士優勝大会」を開催しました。参加者の心に残る魅力ある大会にしようと、特別に警視庁の千葉仁(現:範士八段)先生をお迎えし、大会名に「千葉仁杯争奪」を掲げ、大町市運動公園総合体育館で開催しました。
 この大会には、県下か各地から19団体300名の選手が参加しました。出場者には、千葉先生の書で「忍耐」と染め抜かれた手ぬぐいが記念品として贈られました。

単位少年団旗ができた
千葉仁範士の書「忍耐」


設立20周年記念 千葉仁杯争奪
第2回ちびっこ剣道大会


(3)現在の姿

 大町市おおまち剣道スポーツ少年団と大町市ときわ剣道スポーツ少年団は、大町市少年剣道クラブの支部道場です。そして、それぞれの支部道場が、単位スポーツ少年団として日本スポーツ少年団に登録し、独自の団活動を展開しています。
 なお、大町市スポーツ少年団に登録していた大町剣道スポーツ少年団(昭和43年結成 代表者 栗林省三氏)と常盤剣道スポーツ少年団(昭和46年結成 代表者 奥原徳男氏) は、諸般の事情により活動が休止状態でしたが、代表者は支部道場の顧問として推挙され、組織は融合されて現在に至っています。

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 大会・行事

(1)大会参加

 昭和53(1978)年7月に東巌(常盤清水)団員が大町市民スポーツ祭に出場したのが、団で公式戦に初出場した記録となっています。
 昭和57(1982)年に東京で開催された第4回全国スポーツ少年団剣道交流大会に初出場し、県内外の大会にも積極的に参加するようになりました。現在では、全国選抜少年剣道錬成大会(茨城県)、昇龍旗争奪全国選抜少年剣道大会(岡山県)、全日本少年剣道錬成大会(日本武道館)等の県外の大会に参加してきています。

(2)主催行事

 昭和59(1984)年に、今まで稽古納めを兼ねて開催されていた夕食会を発展させ、第1回の大町市少年剣道クラブ祭が開催されました。毎回、リーダー会が企画立案から運営を担当します。各組からは、寸劇や歌などが披露されています。その他、同年8月に、海のある香川県高松市太田南スポーツ少年団へ団員を派遣し、翌年はスキー交流に受入れるなど、単位団独自の交流会を開催する他、稽古初め交流会、前期合宿、後期スキー合宿などを開催しています。

大町市少年剣道クラブ祭
組ごとの寸劇などを披露


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 今後の課題と展望

 日本スポーツ少年団が開催する国際交流や研修会は、募集人員に限りがあるため、希望しても参加できないことがあります。そんな中から考え出されたのが、単位団の国際交流活動です。
 平成15(2003)年4月、カナダ国・モントリオール市剣道クラブと友好提携を締結し、現在までに4名のクラブ員を受入れています。
 今後、ますます発展する活動と期待しています。

カナダ国モントリオール市
剣道クラブと友好提

 組織と歴代役員 

(1)組織

(2)歴代役員

歴代団長(平成9年以降:代表役員)
 西澤政光(昭55)高橋厚(昭56)荻原嘉平(昭57)松本典久(昭59・60)仁科重光(昭61・62)山岸広登(昭63)小林隆一(平1・2)小林清(平3・4)北澤忠光(平5〜7)久保田良(平9・10)田邊一弘(平11〜13)菅澤正(平14〜現在)<おおまち剣道団長>渡邉亮次(平8)田邊一弘(平9)本林ひとみ(平10・11)橋井弘治(平12・13)宮野典夫(平14)国村ゆかり(平15〜現在)<ときわ剣道団長>菅澤正(平8)西澤美千夫(平9・10)荒井壽美子(平11)多田穂奈美(平12・13)松宗市雄(平14〜現在)

歴代団育成母集団会長(平成9年以降:保護者会長)
 高橋厚(昭56)荻原嘉平(昭57)松本典久(昭58〜60)仁科重光(昭61)山岸広登(昭62)小林 清(昭63・平1)久保田良(平2〜6)合津明(平7・8)坂本洋一(平9)田邊一弘(平10)西澤美千夫(平11)菅澤正(平12)鎌倉広美(平13〜現在)<おおまち剣道母集団会長>本林ひとみ(平8)松江剛弘(平9)因幡茂行(平10)伊藤三枝子(平11・12)平林裕(平13)高野広司(平14)橋井弘治(平15〜現在)<ときわ剣道母集団会長>松田徳子(平8)中島敬夫(平9)荒井壽美子(平10)古畑隆茂(平11・12)荒井壽美子(平13〜現在)

歴代団指導者協議会会長
 飯島紀子(昭62)野口一男(昭63〜平6)小林清(平7・8)北澤忠光(平9・10)久保田良(平11〜現在)

歴代技術指導者名
 木村隆一(昭53〜現在)曽根原久雄(昭55〜60)西澤桐恵(昭59〜60)西澤剛(平6〜現在)松本淳(平7〜現在)山崎真由美(平6〜現在)飯島和則(平11〜現在)北澤淳司(平14〜現在)

       (大町市体育協会史より 文責:おおまち・渡邉亮次 ときわ・菅澤正)



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