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クラブ旗
昭和60(1985)年にクラブ旗「勝争不」が完成し、そのお披露目は「やまびこ祭」である。踊り連の先頭には、高らかにクラブ旗が掲げられた。創立10周年記念誌には、クラブ旗製作までの経過が、つぎのように記載されている。 |
= 団 旗 =
わたしたちの団旗は、「勝争不」と染め抜かれてい。範士八段 榑沼武男先生か範士になられた時、記念にその時の心境を書かれたもので、松商学園高等学校剣道部では、この書を用いた手拭いで稽古に励んでいる。 はじめは、他の書をお願いしようと松本の右武館におじゃまし、半日かけて先生に迫ったのだが、高齢で、もう手の自由が効かないとの事で、誠に残念だったが、現在用いている書を使わせていただける様お願いし、帰ら去るを得なかった。その年、確か昭和60(1985)年4月の事だ。
団の旗作成に当っても色々思い出があり、始め30,000円程度で見積もっていたが、色の選定を紫にし、団の記章や県名を入れたため、県内の業者では色だしに無理があるとの事から、わざわざ京都まで発注することになった。結局仕上り価格は、66,000円となり、当時の松本団長が会計のやりくりに苦労したのを覚えていろ。
その時にあわせて、団の手拭いも揃えることになった。 (創立10周年記念誌から)
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クラブの記章誕生
クラブの記章は、その時々で、形を変えながら現在で3代目となる。原画を描いたのは橋本聖子(現姓 宮本)で大町北高等学校3年生の時である。その原画を元にトレースしたものである。 |
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クラブの合い言葉
平成21(2009)年に、範士千葉仁先生が、関東中学生剣道大会の審判長を努められました。その時の記念品として手拭が配布されましたが、染め抜かれた言葉に感銘して、クラブの合い言葉にすることにしました。
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クラブのオリジナルTシャツ
昭和63(1988)年には、クラブ員や保護者会のオリジナルTシャツやトレーナーを製作することとなった。
クラブ員用は、胸に記章とクラブ名を入れることとなったが、保護者には、ちょっと抵抗があるデザインだとして、新たに考案することとなった。
しかし、クラブのイメージに合ったデザインが見つからず、当時クラブ員の栗林邦広(当時高根町 高校2年)が大町高等学校の剣道部に所属していて、隊長にもと心配りをいただいた剣道部のTシャツを思いだし、そのデザインを保護者会用に利用させてもらうこととした。
この年のやまびこ祭には、クラブ員の後に続く揃いのTシャツ姿の踊り連は、主催者はもとより地域の人々からも好評をいただいた。
しかし、この時のTシャツは、守破離の絵を背にあしらえているため、着ている本人が面白くないとの意見から、2回目の注文にあわせて、隊長が元絵にあわせて想像して書き加えた後ろ姿を完成させ、胸と背に違った絵柄をあしらえた守破離オリジナルTシャツが完成した。
このことで、クラブ員用の絵柄より守破離の絵柄の人気が高くなり、今では、クラブ員用のTシャツを注文する者は、無くなってしまっている。その後、他の団体においてもTシャツを作成するところがみられるようになった。
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<クラブTシャツ> |
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<守破離Tシャツ原画デザイ> |
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<前> |
<後> |
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「忍 耐」
平成10(1998)年 大町市少年剣道クラブ設立20周年記念
人生も、稽古も、格を重んじます。そこには、修行道で大切な、「和」というものが存在します。 そして、それを成しとげる為には、忍耐です。今の日本状態には、ぜひ必要なことで、子供さん達に、ガマンを教えてあげるべきと存じ、書かせていただきました。
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「一剣照国」
平成20(2008)年 大町市少年剣道クラブ設立30周年記念 |
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